この物語を開く前に……(下の「注意!」は必ず読んで下さい)

 正直、この話は公開しようかしまいか迷っていました。というより、今でも迷っています。

 タイトルから分かるように『原爆』というあからさまに重いテーマを扱っていますし、やもすると思想的な問題でこのサイトを訪れる人を不愉快にさせてしまう可能性もあるからです(僕自身、思想的なことは取り上げるつもりはないのですが)。何より、僕が戦後何十年も経って生まれた、戦争も況や原爆も経験していない人間だからです。広島市から80キロほど離れた田舎に住んでいても、一応広島県人なのでそれなりの「平和教育」を受けてきましたし、本や映像などでそれなりの知識はありますが、所詮『知識』だけでは、あの想像もできないような地獄を表現しきれないでしょう。「ピカ(原爆のこと)は遭った者しかわからん」としばしば被爆者の方々はおっしゃられますが、物語を書こうとすればするほどそれを実感してしまうのです。果たして僕にこの話を書く資格があるのか、悩むこともあります。

 それでも何故この作品を書こうとしたのか。きっかけは、昔読んだ地元の新聞のある特集です。その中でも特に勤労奉仕で死んだ中学生や女学生の話に非常に心を打たれました。僕らとそう変わらない普通の子どもだった彼らが、どうして「爆死」しなおかつ「遺骨不明」にならねばならなかったのか。年が近かったせいか、何となく人ごとに思えず、読み耽っていました。そしていつしか「彼らの話を書いてみたい」と思うようになったのです。あの日死んだ少年や少女も僕らと変わらない普通の子どもだったということを、そしてその子達の命が理不尽に奪われたことを。それで、高校生のときに構想を立ち上げ、仲間内で発表することになっていました。が、受験やら何やらで発表がズルズル延びてしまい、現在に至っています。(第1話は一応見せましたが)

 そうこうする内に、二次創作などに関心が向いてこのサイトを立ち上げようと思ったのですが、果たしてこの自己満足の作品も(完成次第)載せるべきか否か、仲間内にとどめるべきか悩みました。けれど思ったのです。「閉じた世界で書いたところで本当にその作品が完結できるのか」と。僕もできる限り調べて書いていくつもりですが、やはりそれにも限界があります。このサイトで公開すれば、僕が思いもよらなかった意見や事実が見つかるかもしれない、そうなればこの作品ももっといい形で残せるのではないか、と考え、載せることを決意しました。そこで、この駄文を読んでいる奇特な方がおられたらお願いがあります。もし、未完成のこの作品を読んで、「ここがおかしい」とか「それは違う」とかいう意見がありましたら、どうか遠慮せずにBBSやメール等でお知らせください(ただ、あまりに酷い罵詈雑言だと凹んでしまうのでそれは勘弁願いますが)。この作品を作り上げるのは僕一人ではありません。僕とこの作品を読む皆さんだと、僕は思っています。多分相当な時間がかかりますが、僕はこの物語をじっくりと育んでいくつもりです。暖かい目で見守っていただけたら幸いです。

 最後に、願わくばこの拙い物語があなたの心に少しでも届かんことを。

2005年8月6日 被爆後60年の祈りの日に Tom Joker


*なお、劇中に登場する学校等は実在するものをモデルに設定していますが、当然関係はございませんのでご了解ください。


(注意!)このお話は物語のテーマ表現の都合上、残虐な描写が登場することがあります。それらの表現に不快感・嫌悪感をもたれる方には、『Atomic Bomb Requiem』を読むことをお薦めできません。その場合は、下のリンクから、もしくはプラウザの「戻る」で、Top、もしくはTextのページに行ってください。


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